タイトル:横たえる蝶

前々から会議にあがっていたことだ。毎月20日のセール前に送るDMのはがき、制作費、印刷代、送料、配布する手間、近頃は見合った効果が出ていないのではないか。つまり、費用対効果が悪いという話。

かといって、ほかの方法を提案するほどの企画力は無し。だいたい、頭が古いのだ。もっと、インターネットやらなにやら、一気に宣伝する方法はあるだろうにと提案したところで、「費用が掛かりすぎる」といまだ踏みだす気配も無い。なんだかんだいって、年配の管理職たちにとっては自分たちの判らない領域のことで、及び腰になっているのに違いない(いま、平成何年だ、って話だ)。とはいえ、ネット広告費の見積もりを眺めて、「たしかに、うちの会社で手を出す金額ではない」とも思う。

「このDMを受け取ったら、『同内容を3人に送らないと不幸になる』って書いたらどうですかね?」

時代遅れに加え頭も悪い。そんなことをしたら、うちのイメージが悪くなるでしょう。そもそも、なにかの法律に抵触しないのか。

「じゃあ、夏なので肝試しセール。ひんやり枕とか、氷嚢とか、集めてセールにするの。これで売り場もひとつ埋まるだろう」

「DMを、お化けの画とかにするといいですね」

チェーンメールを安易にホラーに結びつけやがって。そもそも大学サークルのノリを終身雇用にそのままシフトしただけのような縦社会の悪ノリを顧客に押しつけるな、と暗に釘を刺してはみたが、多数決とは民主主義の癌と云えるだろう、しかも印刷会社もノリノリで、応挙よろしく、納涼感まるだしの幽霊画を拵えてきた。約款のごとくひかえめに、かつ悪のりであることを前提にした書体で『おばけもビックリ! 背筋も凍る衝撃』、不幸のDMは進行していく。

「こんなのは馬鹿なことだって判っていても、受けとった何人かは、ぜったいに拡散させるよ」

たしかにそうだろう。だからといって、一企業が使う手段ではない。良識の問題、常識の問題。しかし、もうひとつの現実問題。専務の鶴の一声「おもしろいじゃない」。

「どうせなら、もっとドーンっとやっちゃってよ」本気か?

せめて、経理部は巻きこまないでほしい。知らないふりして、すごそう。今年中には結婚してやるんだ。

挿画:鍵穴 改行

蝶が横たわっていた。地面に落ちた影が長くなりはじめた夏の日の帰りで、部屋のドアに鍵を挿したときに気がついた。まだ鋭さの残る橙色に濁った西陽のなかで、かすかに動いて、しかし、それは風の所為かもしれないはかなさだった。蝶も暑さに弱いのだろうか。そのままにしておくのもどうかと思ったけれど、どうやって処理していいものか判らなかった。扉のまえから掃きだしてしまうか。土に埋めるか。なんだか、部屋のまえにほうっておくのもかわいそう。

そ、っと蝶の羽を抓んで拾いあげた。鱗粉が指につく。こんな薄いもので、どうやって風に耐えているのだろう。まるで、存在自体が空気のようで、やわらかく、とけるような――ふ、っと、手を放した。閉じたままの羽でも飛んでいけるような、そんな気がした。3階の手すりから、たよりなくよろめいて落ちていく蝶は、2階を過ぎたあたりで、ちいさくなって、見えなくなった。あれくらいの軽さなら、地面に落ちても痛くないだろう。死にはしない。そもそも、死んでいたかもしれない。

改行

朝、ポストをのぞくと、DMが入っていた。幽霊の画が描いてあった。まさか。会社で、あがってきたサンプルを見た、あの馬鹿げたDM。こんな縁起の悪いもの、と思い一瞥しただけ。顧客リストに私の名前もまぎれこんでいた? それにつけても魅力の無い商品たち。まず、ゴミ箱へ直行。

会社に着いて、顧客リストを覗いてみたが、私の名前は無かった。そもそもあたりまえの気がする。誰かが悪ふざけで私の住所へ送ったのか。たしか、後納郵便だったはず。社内で混ぜることしかできないはずだし……誰が?

もうひとつの可能性。誰かが不幸のDMを信じて、3人に送りつけた。私の知り合いのなかに、うちの会社のDMが届きそうなひとはいないはず。だとしたら、どんどん拡がって、繫がった何人目かが送ったものが届いた……まさか。

帰宅途中に思いつく。そもそも、このDMは穴だらけなんだ。『同内容を3人に送らないと不幸になる』と云われたって、このDMはちゃんと印刷所で印刷されたもの。3人に送るといったって、どう送るのだ。手書きで官製葉書に『氷嚢が30%OFF』と書いて送るのか。後納マークは手描きでもいいのか? あの画も、ちゃんと色を塗って? それこそ『おばけもビックリ! 背筋も凍る衝撃』の企画だ。

そういえば、ずいぶん遊園地になんて行ってない。さいごに幽霊に会ったのはいつのことだったろうか。

改行

部屋の鍵穴に挿した、そのとき、どこからか、ひらひらと蝶が飛んできた。昨日、横たわっていたあの蝶とおなじ柄をしたやつだった。ああ、生きているときは、こんなふうに羽を動かすんだ――いや、昨日のだって、死んでいたとは限らない。はばたいているか判らないほど、その動きはこまかい。手すりのほうをみると、おなじ柄のやつがとまっていた。夕方の風はゆるく、私の周りをひらひら飛ぶ蝶とおなじくらいの速度で吹いてるような気がして、もしかして、この蝶は風に飛ばされているだけなんじゃないかとも思える。蝶は、手すりにとまっている蝶のほうへ近づく。すると、とまっていたのもひらり羽を動かして、飛びたった。寄りそうように、縺れあいながら。あれか、恋の季節というやつか。もっと暗くなってからにしとけよ。蝶たちは手すりから下へ、吸いこまれるように、絡まって落ちていくように飛んでいった。やはり、あの蝶は自分で飛んでいるのではなく、飛ばされているだけではないかと思えるような風との融和性。蝶はもともと生きているものではないのでは。

改行

ゴミ箱から、綺麗にまっぷたつになった切れ端を探りだした。おどろいたことに、切手が貼られていた。宛名が手書きだった。私の会社から発送されたものではない。しかし、この幽霊は?

……もっとはやく気づくべきだった。今日は21日で、セールは20日からなのだから、すくなくともDMは19日の夜には届いていなければいけない。ということは、うちに届いているこれは、誰かを経て届いている。不幸を危惧した、不幸な輩が本当に生まれてしまっていたのだ。

幽霊は、見事に普通の眼とただれた眼の真ん中で破れていた。あの予算にしてはよくできた画だが、隣に並んだPOP体の所為で、恨めしさは半減している。よくよく見ると、紙質が粗い。なるほど、裏面だけスキャンしてプリンタで出したのか。手書きの文字を見ても、心当たりはない。こんな手間を掛けさせて、なんて罪な会社だ。それにしても、ご苦労様。世界は幸せを望んでいるのね。

改行

翌日、社内でDMのことが話題になった。私を含め、3人に届いていたらしい。ひとつは営業部の男性。残りのふたつは経理部の私と、後輩のBだった。3人に共通のともだちがいて、送ったのがこの3人だけだったらいいけど、そんな社交的共通点は持ちあわせていないので、DMは拡散していることが決定的。

「宣伝効果、抜群じゃないか!」

売り上げが抜群じゃないと意味がない。

改行

会社を出るとすぐに携帯が鳴った。後輩のBからだった。ちょっとつきあってほしいとのこと。「(面倒くさいから)ちょっとだけなら」と「(もちろん)奢らないよ」と云って、駅の近くの喫茶店に入った(話、合わないんだよな、あのコ)。

「じつはあのDM……」

Bの家には2通きていた。私のときとおなじように宛名は手書き、だけど、2通はべつべつの筆跡だった。

「それだけじゃなくて、あのDM……」

実家の母親のもとにも届いていたらしい。しかも3通。母親は電話で、どうやって9人に送ればいいかBに相談してきたらしい。

「わたし……なんだか怖いんです」

たしかに納涼だ。ひんやりしてきた。不特定多数の人間が不幸になってきていることを確信した。

挿画:穴あけパンチ 改行

Bの話を頭のなかで考えながら(かといって、なにかしてあげられるわけではない)、家に着いた。ちょっと暗くなったマンションの廊下を、なにかがうっすら動いている。切れるまえの黄ばんだ蛍光灯のなかで、ちらちらと見える。そのたよりない動きから、あの蝶の柄だと判った。

いまは蝶の季節なのだろうか。すこし郊外になるとはいえ、住宅地の景観づくりのために植えられた緑のほかに、自然のすくないこのあたりで、頻繁に飛んでいるのも奇妙な話。

しかし所詮、蝶。気にせず部屋に入ろうと、扉に手を掛けたときに気づいた、1頭じゃない。ふわふわ漂う軌道が、1頭ではあり得ない線を描いている。2…3頭でもたりない。闇の中で……

部屋に蝶が入らないように鍵を閉めた。カーテンは閉めたままだったので、開けないように。灯りをつけたまま寝た。

改行

朝、マンションのまえに野良猫がいた。それと、あの蝶が1頭だけふわふわ飛んでいた。猫は蝶を落とそうと、パンチを繰りだしているところだった。のどかだ。

改行

幽霊の目撃情報があらゆるところで確認された。社員に直接届いたケースはすくないのだが、ともだちとか、家族のもとに、あのDMが届いた話が出ている。Bの実家には、12通目がきたらしい。なるほど、Bは青白い、不幸そうな顔になっていた。

私は、ひとを不幸にしてまで利益を先行させる企業の姿勢に辟易した。もう、勤務先をひとに教えるのは辞めにしよう。

改行

鱗粉の夢を見た。私の身体が粒子状になっている夢だ。いや、ことばにすると齟齬が生まれてしまう。なにしろ夢なのだ。簡単に云えば、私の肌が粉のように、微少な粒のようなものでできているような感触の――そんな感じだ。

粉を葺いている? いや、そうじゃなくて、肌にふれると、ほろほろとこぼれ落ちる、皮膚が、私の内と外を繫いでいる薄い皮膚が、粉砂糖のように、摩擦のすくない粒の、こまかい粉をうっすり敷きつめただけの集合体で、どうしようもなくたよりない、そんな、尽くしても形容しがたい感じで――誰かが、その私の肌を撫でている。表面の、爪を立てたらこそげ落ちてしまうような薄いところを、粉をざらりと、壊さない程度にやさしく、すこしだけやわらかに崩しながら、粒の転がる感触を指で悦しんで、だが、それは、ごく僅かな刺激で、私に伝わる感触は、まるで風のようなもの。やわらかく、やさしい。だけど、撫でているそれは、直感的に異性のものだと理解する。輪郭は固まっているはず、だけど、撫ぜられているうちに、ほろく、余計なものは落ちて崩れて、またほかの――私が私ではないなにかに――変えられて、撫でる指の脂で、あるいは固められて、あるいは象られて、また、風のような手のひらで、なだらかに均されて、うばわれて――すこし湿った粒はこすれあう。

抓んだときに感じた鱗粉の感触。そうだ、蝶というのは粉でできているのだ。「飛ぶ」、これは、粉が舞って風にまみれていくことに似ている。

改行

最近、Bが彼氏に捨てられたという話を思いだした。と云うのも、Bの顔があまりにも白くて、不幸そうになっていて、不幸の代名詞を体現しているかのような有様だったからだ。どうしてもうしろ向きのエピソードと関連して考えずにはいられない。あの顔。美白。蒼白。

女子会で涙ながらに恋愛相談を持ちかけていたBの薄幸顔。必死で励ます一同の顔には、同情を滲ませていたものの、こいつらの誰一人としてBのことなど本気で心配していないであろうことが、ことばの云いまわしの節々で透けてみえていて、なおいっそう不幸さを掻きたてていたのを思いだした。あれは、そんなに昔のことではない。

不幸のDMがさらに不幸を呼んで、やはりBは不幸になったのだ。科学的効果が実証されてしまった。なんて恐ろしい企業。ブラック? 幽霊だから、トランスペアレント企業とでも云えばいいか。まあ、この汚い事務所に1日8時間座りつづけているだけでもそれなりに不幸な気もするが。

「そういえばアンタ、DM送ったの?」

Bは固まった。

その怯えたような瞳を、私は凝視、確信した。送ったんだ。

でも、送ったのに不幸? ネズミ算式、ネズミ講的不幸? 送っていない(断固として送っていない)私は、不幸なのだろうか(すくとも幸福ではないと思うが)。

改行

“群集”ということばの“群”という字に、私はどうも引っかかる。羣とも書くか、そこに羊がいるからだろうか。いわゆるシティガールであるところの私は、羊が群れているさまなど見たことがない。たしかに、こんなコンクリートでできた砂漠のような都市ではない、広々とした牧草地帯のあるどこかの国では、牧場に羊がたくさん飼われているのだろう。きっと群れをなして生きているはず。草をはんでいるはず。その光景は想像できる。だが、しかし、どうしてもこの“群”という字に釈然としないものを感じる。もしかして、気になっているのは“君”のほうか。“ムレ”っていう、じとっとした音の響きのなのだろうか。

帰り道に、公園のなかをつっきる道があって、ふと、茂みのほうを見たら、あの蝶がひらひらと舞っていた。考えてみたら、純シティガールであるところの私は、おしくも小学生の自由研究に昆虫採集を選ばなかったがため、蝶の存在など取りたてて気にしたこともなかった。それにしても、あの柄の蝶ばかりが目につくのも不思議だ。季節によって種類の棲みわけがあるのか。メジャーとマイナーでもあるのだろうか。

有名な蝶なのだろうか。あげは? まさか、それくらいなら文系の私でも、昆虫図鑑的なもので見たおぼろげな記憶から判る。それに、ずっとちいさい。

あの羽の柄を、もっとよく見ようと思って近づいてみた。すると、そこにとまっていた蝶のうしろの闇で、かすかに動く気配――1頭ではない、茂みに、木の幹に、密としてあの蝶が“群”がっていた。世界は広いというのに、押しあい、へしあい、もっとやりかたがあるだろうにと思えるくらい、しかし、スリムだからかまわないか。そこにいる蝶たちが、なにか布にプリントされた柄のように連なっていた。

すこしおどろいた私。それにおどろいて、蝶の群れはばさりと飛びたって――

挿画:公園の街灯 改行

帰りにポストを覗いたら、数人の幽霊がいた。幽霊も見飽きてしまうものだ。宛名書きをながめて、そのなかに見覚えのある字が混じっていることに気づいた。

B。

Bのやつ……ついに先輩を(あれだけよくしてやってるのに)売るほど追い詰められたか。しかし、いまになってよくよく見ると、幽霊はBにそっくり。Bをモデルにして描いたのか。あれは誰をモデルにして描いたのか。

そもそも幽霊ってなんなんだ? ひとが死んで魂だけの状態? 魂があるのかないのか、黄泉の国があるのか、エンマさまは居ないのか――まあ、どうでもいい。多分、身体のほかになにかが、きっとあると思って――それは心とか、思惟とか、脳のなかにはあるかもしれないものだけれど、形の見えないものだから、それをことばで、ことばですら表現しがたいために、魂というものがあるのではないかと考える。だから、魂は透明っぽくて、冷たいようで、軽そうで、浮いているような、得も云われぬ曖昧な表現になるんだ(考え直して、冷たいのには理由が思いつかなかった)。

死んだら、だいたい幽体離脱して、魂がふわっと浮いて、いまソファに半分寝ころびながら凭れている自分の姿を、上から眺めることになるのだろうか。きっとストレスだな。第一発見者に会うまえに、もっと綺麗な部屋着にしておけばよかっただとか(イケメンだったら化粧もしておきたい)、白目むいてんじゃねえよ、とか、せめて脚は閉じておけよ、とか、思ってみても、身体にさわれないのだからどうしようもない。ひらきなおって、成仏するまえにテレビ局に忍びこんで、ジャニーズいっぱい見ておこう。

テレビ50%、雑誌50%で見ていた私。ふいに、あの柄の蝶が、視界の端からひらひら降りてきた。一般的都会派成人女性の典型として、私も虫が大嫌いなので、すこしおどろいたが、この蝶の無害さ、持ったときの重さのなさ、逆に力を入れれば私でも簡単に壊してしまえるはかなさ――を思いだして、むげに追いはらうのも、スリッパの底に沈めるのも、悪いような気がした。それにしても、忘れたとたんに視界に入ってくる蝶。私の記憶に染みついている蝶。しばらく、やわらかに映る羽の柄を――キレイだ。

やがて、たよりなくただよったあとに、私の、下着をすこし継ぎたしたくらいの薄い部屋着(そういえば、第一発見者が男だったら、覗いたりするもはず)の裾から出たヒザにとまった。やはり、重さはない。はばたく風も感じない。私はいま、きっとペットを見るのような仕草でいることだろう。どれ、私の肌は甘いか?

窓をすこしだけ開けていた。こんなところから、わざわざ私に会いに来たのか。そ、っと蝶を抓んで、外へ飛びたたせた。ひらひら、闇に消えていった。うっすら、透明に消えていく。蝶は――幽霊に一番近い生き物なんじゃないかと思う。

改行

これ以上の展開を望むならば、Bはきっと今ごろあの幽霊に――たとえば、夜中、なぜか寝苦しく感じて、息が苦しくて、胸のあたりになにか重たいものが乗っているような、そんな気がしてまぶたを開けたら、目のまえに、あの商売繁盛の幽霊が。だけど、声をあげることも、身動きをとることもできない。どこから入ったのだろう? いや、幽霊なんだから、壁をすり抜けてでも来るのだろうが、そもそも、あのDMから具現化して、現れたのか。それとも、不幸の手紙によって不幸になったひとたちの怨念が、思念の集合体となって生き霊になったのか。それにしても、霊のくせにこの圧迫感はなんだろう。この胸の苦しさ。実体も、体重もないのならば、そもそも押さえつけることなんてできるのか。だとしたら、これは生きているもので、鍵を開けて侵入してきたとでもいうのか。こっそり合い鍵でも造って、夜這いでもかけにきている? しかし、あの幽霊は女だろう。それはそれで、また怖ろしいが……

そんなうちにBは、ふっ、と、身が軽く、ラクになったように感じる。見てみれば幽霊の貌も、もう、さほど怖ろしくない。というより、景色が、見慣れた部屋の模様が万華鏡のように、いくつも、いくつも連なって、花畑に居るかのようなテキスタイルの光景。そして、自分は? ほんのすこし揺れる、かすかな空気の流れに、ゆたゆたと浮いて、たゆたっているような、いや、本当に飛んでいる。自分は霧散し、鱗粉を散らしながら、蝶になって……

改行

実際は有給だった。あいつ、青白い顔のくせに、南国ビーチの写真を送ってきやがった。うしろに心霊でも映っていれば説得力があったのに。

社内は末期状態を迎えていた。誰もなにも云わなくなった、が、判っている。みんなのもとへ、あの冥界DMが届き、日増しに利息が増えていっているのだ。

ことばにするものはいない。顔の青さのバロメータで判断している。

私みたいに、決して送らないひともいる。誘惑に負けて、ネズミ算式不幸に手を染めたものもいるだろう。しかし、送れば送ったでうしろめたさを、送らなければ送らないで、この情況のなかで本当に幸福でいられるのか、不安を感じる。幽霊というものが怨念によって生まれるという説には、おおいに同意する。だって、こんなにも多くのひとに雑念をいだかせているのだから。

改行

祝日は静かだった。やることもないし、ともだちもつかまらない(もちろん、恋人なんていやしない)。つまらないから、なんとなく出かけた。公園でもいこうか。

あの池のある公園――立ち並んだ木々の葉の色が鏡のように映る水面にボートが浮かべてあって、近くの大学に通っているだろう浮かれたカップルがアホみたいなツラして、季節ごとに違う色を見せる陽の光をきらめかす穏やかな波間を、若いうちしか着ることのできない露出の多い服を陳列罪すれすれにひらめかせながら、ほんのすこし届く街の喧騒を耳の端に残しつつもそれがかえって煩わしさを忘れさせてくれるかのようなのどかさで、ああ、こいつら、これからアアなるなって、私たち、これからアレするよ、って雰囲気丸だしのほほえみで確かめあって、なにもかもが風に洗い流されてしまうかのようなゆるやかな時の流れを感じた。由緒ある国民の休日なんだから、もっと勤勉に過ごせよ若人。だけど、まあ、総じて雰囲気がいい、あの公園。ちょっと昔に買ったワンピースを着ていた私の、裾の薄いところが蝶の羽みたいだった。

挿画:スカートの裾
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