第二十三回文学フリマ裏話
最初の打ち合わせは
第二十一回文学フリマ直後のこと
その日は、第二十一回文学フリマ(2015年11月23日開催)のすぐあとのことで、イベントの結果報告で集まり、今後の制作活動についての打ち合わせをした。
いかるが「なんか、最初は筆が進まなくて、書くのがつらかったんだけどさ、終盤からノってきちゃったんだよね。来年※1はどうする? はやく次のをつくりたい」
知古「いくつか短編書きかけだったよね? また短編集つくろうか」
いかるが「コンセプトは?」
知古「うーん……」
いかるが「……どうでもいいけどさ、今回の裏表紙のイラスト、どうして下着姿なの?
ってか、最近そういう感じのやつ多いよね」
知古「え」
いかるが「なに? 欲求不満なの?」
知古「え、まあ……」
知古文庫は、制作担当の知古と、執筆担当のいかるが(私)のユニットである。年に1度くらい、文学フリマに参加して、新刊を発表している。自主制作で冊子をつくったりして、気ままな生活を送っているが、ふたりとも、もうそれなりにいい歳だ。それに、どちらも独り身で、長いこと恋愛めいたものをしていなければ、ちょっとしたトキメキも、まして、愛の甘い喜びも、完全にご無沙汰している、しょぼくれた人間たちのユニットだ。制作は私に「だんだん物語がやさぐれてきている」と云うが、私も内心、制作に対して「年々スれてきているな」と思っている。……まあ、そんな話はどうでもいい。
知古「同人誌即売会らしく、ちょっとスケべめなものでいこうか」
いかるが「ウケ狙いね」
こうして、次回作の方向性は決まった。
書きかけだったいくつかの短編の中には、性的なニュアンスを含めているものが無くはなかった。もともとブログでロクデモナイ話ばかり書いていたわけで、別に私もそういうのが嫌いなわけじゃない。だいたい、いまさらどうこう恥じらいを持つ歳でもない。
15から30ページ程度のものを何作か、書きかけの中から、アダルトな雰囲気が出せそうなものを選定してもらい、それを完結させ、短編集にまとめることに決まった。制作のほうは、すでにレイアウトのイメージが浮かんでいたらしく、そうそうに案を考え始めていた。
制作開始、
思ったとおりいくはずもなく……
とりとめなく書きはじめた。選んでもらった短編をあらためて読み直しながら、このあとの展開や、思いついたことを書き足していく。私は計画的なタイプの人間ではなく、移り気で、いきあたりいばったりに執筆している。正直、効率が悪いのはわかっているが、計画的にやろうとしても上手くいかないし、楽しめなのだ。それに、いかるががブログで執筆を始めたとき、スキなことをテキトウに書きなぐってやろうという(なかば暴力的な)スタンスで始めたのだ。プロでもないので、そこは自由にさせてくれ。
ある日、執筆に使う資料を検索しているときに、ふと小咄を思いついた。それは、このとき書いていたものとは特に関係のない、思いつきのエピソードだった。集中力の乏しい私は、なにかを仕事をしていても、頭のなかではまったく関係のないことを考えていたりする。 そのときは短編集の作業中だったから、この思いつきの小咄は、いずれブログにでも投稿しようと、とりあえずメモを取っておくことにした。こういう天から降ってきたような思いつきは、こまめに書き留めておかないと、数十分後には忘れてしまう、はかないものなのだ。
簡単な筋書きまでのつもりだったが、気づけば作業中の短編をそっちのけにして、物語を書き進めていた。執筆用にテキストエディタを開いていたから、メモしておくだけのつもりが、そのまま序盤の筋書きと、登場人物の性格づけなど、ドンドン筆が進めてしまった。
つぎの日、あらためて短編集の執筆に戻ろうとしたのだが、収録予定の短編より、気まぐれで思いついた作品のほうが気になりだしていた。あれだ。やらなきゃいけないことがあるのに、部屋の掃除を始めてしまうようなヤツ。しかたないので、キリがいいところまで書いておくことにした。
せっかく書きはじめたのだから
後日、この作品も短編集に収録しようと持ちかけた。それなりの分量になりそうだった。内容的に短編集のコンセプトからかけ離れてもいないし、思ったよりも筆がなめらかに進んでいたからだ。スケベ要素も、盛り込める感じだった。なにより、書いていて楽しくなっていた。ここで中断してほかの作品を書いたとしても、集中できない気がした。
制作側も「かまわない」と云った。まあ、短編集の執筆は始めたばかりだし、この段階では、どうにでもできる状態だった。
突然思いついた物語は入れ替わりモノだった。さえない女子高生が、あこがれの転校生と入れ替わってしまう、わりとベタな感じ。タイトルは、有名な作品をモジって『転校生』にした。この手のものは、ずっと昔からあるモチーフで、私がそれに一石を投じる……なんていうのは、おこがましいけれど、書く以上は、オリジナリティのあるものをつくらなければならない。せめて、その気概だけでも。意気込みだけでも。どうせならば、いかるがらしく、グチャっとしたものにしてやろうと思っていた。ワケワカラナイと云われたら、「それこそ私の望むところだ」と、社会不適合者まるだしの応えをしてやろうと思った。まあ基本テキトウなんだし。申しわけない程度に転校のエピソードを入れれば文句云われないだろう的な、モジっているクセに有名作品とは似ても似つかない、いかるが特有のジャックナイフスタイルを気取ってやろうと、ダサい考えをしながら悦に入っていた。
ブログで書き始めたころは、短い小咄ばかりを投稿していた。それが、次第に「形にしてみたい」と思うようになり、文学フリマに作品を出すようになった。冊子にしても、もっぱら短編を書いてばかりだったが、ここのところ、それなりに長さの、物語性があるものを書いていきたいと思っていた。
話の大きな転換部分までは30ページ弱だったろうか。短編として、十分な量になりそうだった。結末は決まっていたから、あとは細部を書き進めるだけだ。ディテールを書き込んでいく作業が、思いのほか面白い。『黒企業顚末記』※2を書いたときは、半分事実を交えた作品だったので、事実と、ぼかしておきたいところと、時系列の正誤性と、考えることが多くて大変だった。久しぶりに、好き勝手やるのが楽しかった。
まさか、あの映画が大ヒット
気がつくと『転校生』は150ページを超えていた。クライマックスに必要なエピソードを模索しているうちに、ふいに盛り込んだ脇道のエピソードを膨らませてしまった。これが蛇足であるということはわかっていた。物語の質を落としてしまうものかもしれないものだ、とも理解していた。だけど、……まあ、私はアマチュアだ。誇り高い作品を書いている気になっていてもしかたない。人生一度きりなのだから、やらないで後悔するならば、やっておけ……とか、みんなが偉そうに云っている金言があるではないか。だとしたら、迷うことなく書いてしまえ、行けばわかるさバカヤロウという気分になった。
そんな気持ちがさらに分量を膨張させるハメになった。この時点で、短編集のアイデアを捨てることを考えた。1作の量が多くなってしまい、ほかの作品が収録できない。それに『転校生』に、もっと時間をかけたいという気持ちが強くなり、最初予定していた作品数は書けそうになかった。
そこで、制作と相談して、『転校生』を単行本にする方向性に切り替えることにした。取りかかりが早かったので、軌道を修正する時間は十分にあった。
『転校生』の結末を書き上げたのは8月なかばくらいだっただろうか。制作側に原稿を渡すと、誤字・脱字・衍字もろもろ指摘されたうえ、時系列の正誤性も散々だった。私は気分で書き進めてしまう。プロ意識など持ちあわせていないので、ノっているうちに書きつけないと、すぐに筆が鈍ってしまうタチなのだ。しかたない……と云い訳しながら……いつも、ひと通り書いたあと調整を入れていくことにしているのだが、この作業が本当にしんどいし、楽しくない。もちろん必要な作業なのだが、どうやれば計画的な進行をすることができるのだろうか?
私は、テレビというものをほとんど見ない。こういうこと云うとカッコイイかな、とか思ってるわけでもないし、芸術家気取りで浮世離れしているふうを装っているわけでもない。単純に、飽きっぽくて、じっと画面を見ているのが面倒くさいのだ。だから、入れ替わりモノの映画が大ヒットしているという情報をキングスブランチ的なもので知ることもなく、その映画の存在を知ったのは、公開されて、結構経ってからのことだったと思う。「なんでこのタイミングなんだろう」と思った。もちろん、興行収入が何たら億円いう大ヒット映画と、文学フリマで数冊売れるだけの存在を比べるべくもないのだが、入れ替わりモノでも、世界を感動させ賞賛されている作品と、私の、しょうもないコトを書いてやろう、というより脱線してる、わかる人だけわかればいいやという精神で制作している作品とでは、なんとこころざしの違うことか……まあ、だからといって、どうなるわけでもないのだが。
結局、スケベもやってみたい
『転校生』を脱稿したのが9月末のことで、今年の文学フリマは11月下旬の開催。まだ時間に余裕があったので、もう1冊くらい、安価で気軽に手にとってもらえるようなものでもつくろうかという話になった。16から32ページくらいで、印刷所に頼まず、自宅のプリンタでできるくらいモノを。制作は手製本などもやるので、手頃なものがいいだろうという話だった。
知古「それじゃあ、スケべめなものでいってみようか」
いかるが「ああ、ウケ狙いね」
基本的に私はプロフィールに嘘を書くことにしている。知古文庫の冊子を購入していただいたかた(本当にありがとうございます)はご存知もしれないが、冊子のカバーや奥付にプロフィールを載せている。
だけど、ほぼ嘘である。
これは、いかるがのコンセプトである、「文章という生ゴミを投げつけてやるスタイル」の、もっとも顕著な体現であると考えているからだ。プロフィールだけでなく、帯に書かれた宣伝文も……学歴の詐称、過去に発表した作品名、存在しない賞の受賞歴、架空のNPO団体からの応援コメントなど……だいたい嘘八百である。もしかすると、いま読んでいる文章すら、すべて虚構かもしれない。
こんな、現代社会における落伍者まるだしのアイデアで悦に入っているわけだが、このプロフィールの中にテキトウに書いた作品名(「○○小説賞受賞」とか嘘をついている)を、のちに実際に作品にしたことがある※3。テキトウに書いたタイトルなのだけど、あとで気に入ってしまったこともあるし、こういった行為をすることで、さらに読者を煙に巻くことができたらいいなという、まったく不利益なことをして楽しむ性癖が私にはあるからである。
どういう物語を書こうかと考えていたときに、以前「河豚を捌くように」という架空の作品を発表したと、虚構プロフィールの中に書いたことを思いだした。
(自分的に)このタイトルは気に入っていたので、今回、これで短編を書いてみようかな、と思った。そして、もうひとつ構想を練っている作品を「豚を捌くように」という、似たようなタイトルにして(どこかしらに豚という単語が出てくる予定だった)、河豚と豚、2作品を合わせたものにしようと思いついた。ちょっとアダルトな感じの話にもできそうでもある。制作側とあらためて検討した結果、それなりにスケベな話を2つ収録した『それなり』という短編集にすることに決まった。
一番信じられないのは
自分だという事実
2作品同時並行で書きはじめた。どちらも、筋書きはなんとなく頭にあったので、ディテールを詰め、細部を詰めていけばいいだけだ。先に「豚を捌くように」のほうの筆が進んでいたが、まあ、進行スピードがどちらかに偏っていたとしても、結果、期限までに2作書きあげることができれば問題ない。
「豚を捌くように」は、パソコンの前でキーを叩いているだけの日々を送っているOLが、味気ない生活に疲れ、その憂鬱さから次第に機械に憎みを募らせるようになり、ゆがんだ文明批判を論じていく……というよくわからない物語だ。我ながら、ほどよくくだらないものができたと思っている。描写がことごとくクドくて、読者に苦痛かもしれないという懸念はあるのだが。
制作側から、レイアウトの草案をもらった。「文字組みに足を生やしたい」とか、よくわからないことを云ってきた。ページの下のほうに余白を広めにとり、生足のイラストを入れて、パラパラ漫画のようにしたいという案※4らしい。これはお色気なのか……? まあ、それもまことにくだらないモノだった。
執筆が進み、だんだんノってきたところで……イヤな予感がしてきた。2作品納められる分量、かつ、手軽に読めるモノにするという予定だった。でも、書いていると楽しくて、すでに50ページくらいになっていたと思う。あきらかに想定をオーバーしている。自覚はあったものの、まだまだこの分量じゃまとまらないし、もっと書き進めたい……ならば、短編集にせずとも、「豚を捌くように」も1本で単行本にすればいいのではないかと、なんだか、前回の轍をみずから行くような(悪い)考えがよぎっていた。
問題があるとしたら、「文字組みに足を生やしたい」というヤツ。手軽な冊子ならまだしも、まとまった量のイラストとなると、制作の時間が間に合うのだろうか。というより、物語はまだまだ膨れそうな雰囲気だし……
最終的に、本文96ページほどの物語になった。イラストの点数は45点(見開きで1イラスト)。さすがに計画性のない自分に厭気がさしてきたし、制作に負担をかけてしまったことに申しわけなさも感じたものの、なんだか楽しんでイラストを描いていたようだったので……まあいいか。ちなみに、資料として『足の描き方』という本まで買ったらしい。
今後の反省と、
制作について思うこと
最近、脚本の書きかたについての本を読んだ。アマチュアからプロを目指す人のために書かれた本だった。私は脚本家になるつもりもないし、方法論としても、自分にそぐわない箇所が多い。しかし、アマチュアの弱点、アマチュアからの脱却方法など、かなり身につまされる内容だった。まあ、別にプロになりたいとかは思っていないけれど、問題意識はつねに持っていないといけないだろうと気づかされた。
今回発表した2作品。私らしく楽しく書けたと思う。しかし、自分自身でも至らない点も多くあった。読んだかたからは、自分では見過ごしてしまった稚拙さをたくさんみつけることだろう。だいたい、私らしさがなんだというのだ。そんなモノが役に立つのか。
だけど、こうやって作品をつくることがなにかになればいいと思っている。それが無意味であっても、ただのエゴイスティックなモノであったとしても……なにを云ったところで、なにかをつくりたい気持ちは消えないし。
欲が出てきた
毎回、文学フリマ当日の販売については、制作におまかせしている。人前に出るのは、ちょっと苦手だ。自分の書いたものについて、アレコレ説明をするのもどうなのかな……と考えてしまう。イベント後に、何冊売れたかとかの情報だけもらっている。
今回、それなりの労力をかけたというのもあるけれど、「もうすこし売れて欲しかった……」というのが本音である。「売れて」というより、「だれかに届いて欲しい」という気持ち(きれいごとだけど)。私たちは、あまり広いコミュニティを持っていない団体なので、少部数しか手にとっていただけないのはしかたがない。しかし、宣伝が弱かったなどの反省点はある。いま書いているこの文章も、ちょっとした云い訳だ。
今回発表したものの一部を、電子書籍として公開しようかとも考えていた。実際に、過去作品で公開しているものもあるし※5、そういったサービスを提供しているサイトはたくさんある。作品だって、手軽なコンテンツとして、ソーシャル的な役割を担うモノにしたほうがイマドキだとは思うのだが、制作の考えかた、印刷へのこだわりもあるものだから、造本込みで作品としたい。私自身も、味気ないテキストデータになってしまうのは、ちょっとイヤだなと思っている。
感謝の気持ち
毎手にとっていただいたり、購入していただいたり……本当にありがとうございます。活発に活動をしていない団体ですが、今後ともご愛顧のほどよろしくお願いいたします。アメーバブログのほうの更新が滞っていますが、気まぐれに投稿していきますので、懲りずによろしくおねがいします。